千田博士論文
千田有紀は博士論文165頁において次のように書いています: 千田が引用している 「問題は、ヴェーバー等の・・・・とらえたところにある」 の部分について 「長谷川[1980:24]」 と書かれているので長谷川のどの著書からの引用なのかと思って千田博士論文の「…
千田有紀は博士論文128頁で次のように書いています: 我が国では、民法改正を強力なてことして、直系家族制度から夫婦家族制度へと変動しつつある。してみれば、夫婦家族制度への変化は、社会体制の差に拘らず早晩出現するところの、人類史的な展開を示すも…
千田有紀は博士論文130頁において森岡清美の家族社会学について次のように書いています: 欧米、特にアメリカこそが普遍であり、その地にみられる核家族や友愛家族が普遍であるとの欧米を普遍とする近代観によって、日本は、より「日本的典型」を持った特殊な…
《本記事の問題意識》 千田有紀は博士論文注71において「山室周平」の記述を、「山室周平」の記述である旨明記せずに書くことによって、あたかも千田有紀のオリジナルの記述であるかのように書いている。 千田の行った当該行為は学術の世界では何と呼ばれる…
千田有紀は博士論文の中で次のように書いています: ◎千田博士論文133頁: ここに、マードックの核家族論が日本で広く受け入れられた歴史的な理由を垣間見ることができるだろう。つまり、家族の民主化という課題ゆえに、核家族という形態が、「夫婦を中心とし…
千田有紀は博士論文において次のように書いています: 森岡によれば、典型とは「類型の下位概念であり、特定の文化的内容を持ったもの」(森岡[1967b:26])であるという。しかし「日本的典型」の内容やその起源は何も問われていない。(千田博士論文、125頁。…
1 千田有紀は博士論文「6-1-3森岡清美の家族変動論の変遷」において森岡清美の家族変動論に関して1963年から1967年、そして1973年の間に、森岡には、直系家族制から夫婦家族制への家族変動の信念に対するトーン・ダウンが起こっている、との趣旨で次のよう…
千田有紀は博士論文の中で、森岡家族社会学の現代家族の出現時期について次のように書いています: 森岡は自分の家族変動論理論のなかで、「家」から「家族」への移行の時期を、1945年から1960年へ、そして1975年へと二回変更している。(千田博士論文122頁) …
千田博士論文130頁には次の記述があります: 《千田による森岡清美の引用部分》 上記引用部分には最終個所に[森岡1976a:18]と書かれています。 [森岡1976a:18]とは、上記引用部分は、千田が森岡清美の[1976a]という著書・論文の18頁から引用した引用部分であ…
1 本稿では千田博士論文「6-1-3森岡の家族変動論の変遷」(128-131頁)を検討します。 2 千田博士論文129頁には森岡清美の家族変動論の変遷に関する説明として次の記述があります: 千田は森岡の説明図式が、 「日本的な家族である実体的な「家」から「現…
社会学の世界では、ある特定の社会Xや人物Xが、ある特定の思想Aや考え方Aを、全否定したり、反省したり、当該特定の思想Aや考え方Aから距離をとった場合、その行為によって、(1)当該特定の社会Xや人物Xは、逆説的に、当該特定の思想Aや考え方Aに規定さ…
千田有紀は博士論文において次のように書いています: ここで、戦前の日本の「家」研究と戦後の家族研究に、ひとつの断絶が生じているのを見るのは、容易である。つまり、「家」というものが、制度、特に法制度と同一視されたため、戦後はそれが消滅したとい…
1 これまで千田有紀著博士論文「『家』のメタ社会学」について記事を書いてきましたが、ここまでのまとめをしておきたいと思います。 2 千田博士論文「審査要旨」では、千田は、 従来の「家」対「家族」という二項対立的な問題構成それ自体を、疑似問題と…
千田有紀は博士論文154頁以降、西川祐子氏の「家」について検討するにあたって次のように書いています(傍線部分): 次に西川の立論を検討しよう。西川は戦前を「家」/「家庭」の二重制度、そして戦後は「家庭」/「個人」の新二重制度と概念化する(西川[1…
米村昭二は論文『家族研究の動向』(社会学評論)(注1)33-34頁において小山隆の大家族制に関して次のように書いています: 大家族制についても「広く大家族とは、親子中心の家族であるが、ここに問題とする大家族とは、単に家長の直系尊卑属の結合だけで…
千田有紀(武蔵大学教授)は東京大学博士論文46頁において次のように書いています(青字部分): 戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。『妻は夫の家に入り、入夫は妻の家に入る』といった旧民法788条と、「協議によって夫または妻の氏を名のる」…
千田有紀は博士論文において、かつて「家族」に「一」をつけて「一家族」という用法が日常語にもあった、と述べた上でその具体例として次のように書いています(青字部分): まず田山花袋の『生』(1908)のなか[ママ]ある「日の暮れる頃、わアーッわアーッと…
1 千田有紀は東大博士論文の中で次のように書いています(青字部分): 「家族」の原語であるfamilyは、語源的にはラテン語のfamilliaという語から生じているが、・・・(63頁、159頁) しかし川本彰『家族の文化構造』(1978年、講談社現代新書)32頁には…
1、千田有紀は博士論文において有賀喜左衛門(注)の「家」概念について、次のように書いています: ここで重要なことは、やはりこの時点でも家と家族がわけて考えられてはいない点、家が「集団」であると考えられている点である。「有賀の家、同族研究には…
千田有紀は博士論文において次のように書いています(傍線部分): ・戦前の社会学の家族論では、「家」が武士的・儒教的家族制度が〔ママ〕意識されることは決してなかった(千田博士論文107頁)。 ・戦前の社会学の家族論では『家』が武士的・儒教的家族制度…
千田有紀は博士論文において次のように書いています: ・・・このようななかで、有賀喜左衛門の占める位置を評価するのは難しい。なぜなら確かに戦前、有賀は近代化によって伝統が失われることを嘆き、大家族や同族団体の「結合が弱められつつあるといわれて…
《本記事の問題意識》 喜多野清一は1951年の論文『同族組織と封建遺制』において「家」と「家族」の理論的な区別の必要性を説きつつも、「家と家族とは現実に分離し難く結合している」(180頁)、「同族組織の構成単位が家として成立するとは言っても、そこ…
1 千田有紀は博士論文において次のように書いています: 「家族」の民主化が戦後民法によって起こったと考えられていたが、そもそも新民法は、「家」「戸主」といった単語のレベルでの「民主化」がおこっていたにすぎなかった。(125頁) 上記記述と同趣旨の記述は…
千田有紀は博士論文において「戦後は、家族原理そのものが、社会にまで拡大、貫徹すると考えられるように」(注1)なった、と記述し、しかし戦前には家族原理が社会にまで拡大、貫徹すると考えられてはいなかった、との趣旨を述べています。この趣旨を裏付け…
《本記事の問題意識》 東京帝国大学教授で家族社会学者の戸田貞三は、「戸籍上の『家』は種々の点において事実上の家族とは著しく異なる人々を含む場合が多い。したがって戸籍上の記述によって事実上家族生活をなしている者を尋ね出すことはできない。」との…
千田有紀は博士論文の中で戸田貞三の家族学説について次のように書いています(青字部分): 【千田の記述】 子に対する愛情があわられて育児の機能となるがごとく、親に対する愛着追慕の感情があらわれて祖先崇拝の行事となるものと考えられる。(注1) し…
《忙しい人はここだけ読んでください⇒》千田有紀は博士論文81頁において、戸田貞三の『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)116頁の原文の「家族」の文言を「家庭」に書き換えて「脚注」までつけたうえ、書き換え後の「家庭」の文言にあたかも特別な学術的…
《本記事の問題意識》戸田貞三は戦前、著書の中で日本の家族と欧米の家族との相違点について、複数、記述していた。ところが千田有紀は博士論文17頁において、戦前の戸田貞三に関して「戸田は・・・、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえなかっ…