松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(13)「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。」???(46頁)

千田有紀武蔵大学教授)は東京大学博士論文46頁において次のように書いています(青字部分):

 

戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。『妻は夫の家に入り、入夫は妻の家に入る』といった旧民法788条と、「協議によって夫または妻の氏を名のる」新民法750条を比較しても、ほとんどの夫婦が夫の氏を名乗っている現在、男性世帯主を中心とする家族制度の保持という点では一貫している。また祭祀に関しては、家督相続人の義務(銘7条)から、慣習に従う(897条)ことになった。相続に関しては長子単独相続は、法制度上は廃止された。

 

このように千田は、

 

戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。

 

と主張しています。

しかし「ある面で」とは、どの面なのかを明確にしないことにはいったいどの面で戦後民法と明治民法とが連続性を持っているのかわからないので上記主張は社会科学的には意味不明な主張です。しかしその点はここではあえて不問に付すことにしましょう。

 

とにかく千田は

 

戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。

 

と主張しており、当該主張の具体例として次の3点を挙げています:

 

(例1)

『妻は夫の家に入り、入夫は妻の家に入る』といった旧民法788条と、「協議によって夫または妻の氏を名のる」新民法750条を比較しても、ほとんどの夫婦が夫の氏を名乗っている現在、男性世帯主を中心とする家族制度の保持という点では一貫している。

 

(例2)

祭祀に関しては、家督相続人の義務(987条)から、慣習に従う(897条)ことになった。

 

(例3)

相続に関しては長子単独相続は、法制度上は廃止された。

 

千田が挙げた上記3つの例の問題点を一つ一つ見ていくことにします。

 

まず(例1)について。

千田は「法規範」と「法規範が社会に妥当している事実状態」との区別をせずに、両者を混同し、後者を根拠に法規範同士の連続性を肯定している点が問題です。明治民法と戦後民法との連続性の有無を検討する場合には、民法788条と新民法750条が定める法規範同士を比較するべきであって、新民法750条以降、ほとんどの夫婦が夫の氏を名乗っているという事実状態を根拠にして明治民法と戦後民法との法規範の連続性を肯定することはできません。

 

(例2)について

千田は明治民法987条について「義務」と書いていますが明治民法987条は「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権ニ属ス」となっており「義務」の文言は存在しません。条文の文言を勝手に書き換えている点は問題です。

家督相続人の特権、と規定されていた明治民法987条と、慣習に従う、と規定された新民法897条とは、法規範として全く別内容であり、法規範の連続性は存在しません。

そもそも「家督相続人」は新民法のもとでは存在しません。

従って(例2)を明治民法と戦後民法との連続性の具体例として挙げることはできません。

 

(例3)について

相続に関して長子単独相続が法制度上は廃止されたことは明治民法と戦後民法の法規範の断絶を示す具体例であり、連続性の具体例としてこれを挙げることはできません。

 

 

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】