「物理的な〝実体的実在体〟なるものが、原理的には、つまり、存在論・認識論上の身分から言えば、関係諸規定の結節を物象化して〝自存的実体〟視したものにほかならないのと同様、〝実体的人格体〟なるものも、関係諸規定の反照的結節を内自化して〝自存的実体〟視したものにほかなりません。」
「・・・性質というのは、対他的な反照関係規定を、項に帰属させたものにほかなりません。本体の備えている能力・機能と称されるものも同断です。例えば、刃物は切断能力・切断機能を備えているという言い方をしますけれど、本当には、刃物それ自身が切断能力・殺傷能力・切断機能・殺傷機能なるものを具えているわけではありません。刃物と他物とのかくかくの関係態においてしかじかの現象が現出するという関係規定性を、刃物なる項がもともとそれ自身に内属させているかのように扱っているだけです。諸々の性質・機能・能力を具え、諸々の対他的関係行為を演じる「身体的個体」なるものは、可能的・現実的な諸関係の〝結節〟を便宜上、自己同一的な自存体=実体のように措定したものにすぎません。」