松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(8) 1951年時点の喜多野清一において「家」と「家族」は「二項対立を形成」していた?144頁

《本記事の問題意識》

喜多野清一は1951年の論文『同族組織と封建遺制』において「家」と「家族」の理論的な区別の必要性を説きつつも、「家と家族とは現実に分離し難く結合している」(180頁)、「同族組織の構成単位が家として成立するとは言っても、そこに家族としての生活共同体を不可分に内包している」(同頁)と書いていた。ところが千田有紀は1951年時点の喜多野清一において「家」と「家族」は「二項対立を形成」していた、と書いている(千田博士論文144頁)。千田の当該記述は事実に反するのではないだろうか?

 

 

千田有紀は、博士論文において「家」概念のあり方は、おおまかに三期に分けられるとしています。

第一期は1920年代から1945年頃までであり、第二期は1945年から1960年頃まで、そして第三期は1960年以降であるとしています。
そして第二期の戦後初期は、「家」と「家族」が二項対立的に概念化され、「家」を日本に「特殊」なものであると考えることを許す、戦後社会科学の「家」パラダイムが成立した、と書いています(以上、千田博士論文16頁)。

 

その上で千田は上記第二期に属する1951年時点での喜多野清一の『同族組織と封建遺制』における「家」概念()について次のように書いています(青字部分):

 

喜多野には、1951年の時点でめずらしくマードックの影響がみられる。このようなマードック核家族論から導き出された「小家族」、「夫婦家族」、「近代的家族」である「集団」としての「家族」にたいして、「家」は「制度」であり、二項対立を形成している。(引用終)(144頁)

 

しかし、「家」が「制度」であればなぜ「家族」と「家」が「二項対立を形成している」という結論になるのでしょうか?

千田は「家」は「制度」であると書いていますがそもそも戦前の「家」制度は戦後の民法改正によって解体したので1951年時点ではすでに「制度」としての「家」は存在していません。

『同族組織と封建遺制』の原文では、喜多野は、

 

「家」と「家族」とを「理論的には別個に概念しておくことは・・・甚だ必要」(181頁)

 

と書いていますが、一方では、

 

家と家族とは現実に分離し難く結合している」(180頁)、

同族組織の構成単位が家として成立するとは言っても、そこに家族としての生活共同体を不可分に内包している」(同頁)

 

と書いていますので、喜多野の記述から千田の言うように「家」と「家族」は「二項対立」を形成している、との結論を直ちに導くことは困難です。

喜多野は、「家」と「家族」が「現実に分離し難く結合」しており、「家」が「家族としての生活共同体を不可分に内包」している、と書いているにもかかわらず、喜多野の「家」と「家族」が「二項対立を形成している」、と千田が結論付けるためには、もっと積極的な根拠が必要と思われます。

千田はいかなる根拠で、喜多野における「家」と「家族」を「二項対立を形成している」と結論付けたのでしょうか?

 

千田は博士論文の中で次のように書いています:

 

日本の「家」は、理想化された欧米の「近代家族」を理念型として、それとは正反対の性質をもつものとして構築されてきた理念型にすぎない。この「近代家族」が理想化されたもの、つまり神話にすぎないとわかった現在、「家」という概念自体もそのまま使用することはできないのではないか。つまり欧米の「近代家族」を理想化して、それと二項対立的に、正反対の性質をもつものとして構築されてきた「家」概念の構築のされかた自体を、問いなおさなくてはならない時期にきているのではないか。(6頁)

 

千田はこのように自己の問題意識を述べています。千田博士論文の中にはこの問題意識が繰り返し登場していることからすると、この問題意識が千田博士論文の真骨頂であるように思われます。従って「二項対立」概念は千田博士論文の最重要のキー概念となっているように思われます。

 

しかし喜多野の『同族組織と封建遺制』を読む限り、喜多野氏は、欧米の「近代家族」を特別に理想化していたようには思われません。しかも、上述のとおり、喜多野においては、「家」と「家族」は「現実に分離し難く結合」しており両者は「不可分」とされているのであって、両者は、正反対の性質を持つ概念としては観念されていません。従って喜多野における「家」と「家族」は「二項対立を形成している」と断定することはできないように思われます。

 

千田はいかなる根拠に基づいて上記「二項対立」の結論を導いたのでしょうか?

千田有紀教授、根拠をぜひ教えて下さい!

お返事お待ちしております!!

連絡先:ivishfk31@gmail.com

 

)喜多野清一「同族組織と封建遺制」、『封建遺制』(日本人文科学会編、有斐閣、昭和26年)所収。

 

 (2019/3/31加筆修正)

 (2019/12/17加筆修正)

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】