松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(20)「6-1-3森岡清美の家族変動論の変遷」(128-131頁)【3】森岡清美の「信念」?「トーン・ダウン」?

1 千田有紀は博士論文「6-1-3森岡清美の家族変動論の変遷」において森岡清美の家族変動論に関して1963年から1967年、そして1973年の間に、森岡には、直系家族制から夫婦家族制への家族変動の信念に対するトーン・ダウンが起こっている、との趣旨で次のように書いています:

 

◎このように1963年から1967年、そして1973年の間に、家族変動の信念に対するトーン・ダウンが起こっている。(千田博士論文129頁)

 

また千田博士論文130頁では森岡の家族社会学に関して次のように書いています:

 

◎(森岡の家族社会学では)日本の家族はなかなか欧米の普遍な「家族」にいきつかないために、単線的な歴史の進行をはばむ文化的な要因が社会にあるという信念が生じてくる。

 

このように千田は森岡が「家族変動の信念」「単線的な歴史の進行をはばむ文化的な要因が社会にあるという信念」を持っていたとの趣旨を書いています。

 

しかし森岡自身は家族社会学において特定のイデオロギーや思想や信念を排除し、価値中立的な純学術的立場から研究していました。

たとえば森岡は1972年の『社会学講座 第3巻 家族社会学』(東京大学出版会)において核家族説に立脚したうえで、核家族説をイデオロギーであると批判する立場に対して反論し、「ここでいう核家族説は核家族を家族分析の基礎単位とする、価値中立的な純学術的立場にすぎず、なんらの実践的意図も直接にはない」と書いています(『家族社会学』(森岡清美編、有斐閣双書、1967年)8頁、森岡執筆担当部分にも同趣旨の記述があります)。

 

実際、森岡は『社会学講座 第3巻 家族社会学』212-213頁において「夫婦家族率の上昇」についての客観的データを挙げて家族変動について客観的に分析しています。

 

森岡清美著『現代家族の社会学』(放送大学教材、1991年)29-30頁にも次の記述があります:

◎この講義では、家族の要素的単位を・・・核家族に求め、これを分析の基礎的単位とする。(29頁)

◎この立場(注:核家族説を指す)は核家族を理想的形態、少なくともよりよき形態とみ、その実現の促進を意図するイデオロギーだと、わが国の学者から批判されたことがあるが、変動しつつある日本の家族のより正確な理解に資そうとする価値中立的な学術的立場であるにすぎず、そのような実践的意図を秘めるものではない。(30頁)

(引用終)

 

以上のような森岡の「価値中立的な学術的立場」からすると、森岡が家族社会学の研究に際して上記「信念」を持って研究していたとの千田の主張にかかる事実は認められないように思われます。

 

また千田は博士論文128-129頁において森岡の著書から 1963年から1967年、そして1973年の間の森岡の「家族変動」に関する記述を引用していますが、それらの引用部分は森岡が家族社会学者としての立場から「家族変動」の将来を予測する趣旨の記述であると思われ、千田の主張するような森岡「家族変動の信念」に基づく記述ではないように思われます。

 

2 また千田は、森岡には、1963年から1967年、そして1973年の間に、直系家族制から夫婦家族制への家族変動の信念に対するトーン・ダウンが起こっていると書いています。

森岡に本当に「トーン・ダウン」が起こったのでしょうか?

この点について検討してみましょう。

森岡は1963年の時点で次のように書いていました:

 

我が国では、民法改正を強力なてことして、直系家族制度から夫婦家族制度へと変動しつつある。してみれば、夫婦家族制度への変化は、社会体制の差に拘らず早晩出現するところの、人類史的な展開を示すものと考えられる(森岡[1963:31])。 

 

そして森岡は1972年の時点で『社会学講座 第3巻 家族社会学』(1972年、東京大学出版会)の213頁において次のように書いています:

 

夫婦家族制が確立されたことを窺知することができるのである。(引用終)

 

このように森岡は1972年の時点で明確に「夫婦家族制が確立されたことを窺知することができる」と記述しています。

すると1963年時点と1972年時点を比較して、森岡に「トーンダウン」は起こっていないように思われ、すると千田の上記記述は事実に反しているように思われます。

 

3 千田博士論文に一貫している論理は、戦後日本の家族社会学者が、戦争中の日本を反省し(欧米的な)「近代家族」像を理想化したことでかえって逆説的に「家」を遡及的に作り上げ日本文化の「伝統」や「特殊性」を構築するという悪しき結果を生じさせた、という論理です。この点については当ブログのこちらの記事をお読みいただければお分かりいただけると思います。

 

 しかし森岡に関していえば上記のとおり森岡は「価値中立的な学術的立場」から「実践的意図」を排除し客観的に家族社会学を研究していました。

また森岡は欧米の核家族の普遍性を否定していました(この点については当ブログ過去記事ですでに指摘したとおりです)。

以上の事実関係からすると森岡(欧米的な)「近代家族」像を理想化していた、との千田の主張にかかる事実を認定することはできないように思われます(個人の感想です)

 

このように、森岡が(欧米的な)「近代家族」像を理想化していた、との千田の主張にかかる前提事実が認定できない以上、森岡社会学が逆説的に「家」を遡及的に作り上げ日本文化の「伝統」や「特殊性」を構築するという悪しき結果を生じさせた、との千田の主張にかかる上記結論を導くこともできないように思われます(個人の感想です)。

 

 

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】