ここで重要なことは、やはりこの時点でも家と家族がわけて考えられてはいない点、家が「集団」であると考えられている点である。「有賀の家、同族研究には問題点も残されており、その後の展開をまたねばならなかったことも事実である。ことに、家に関しては十分でなく、戦前では、夫婦関係に根拠をおく生活共同体であるとする考えが浮かび上がってくる程度であり、それが明確な表現でもって打ち出されたのは、戦後、昭和22年の『家について』である」(米村[1977:43])。つまり「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになる。(千田博士論文103頁)《引用終》
上記引用部分のうち「」内は千田が米村昭二『家族研究の動向 ー戦前戦中におけるー』(1977年)43頁から引用した部分です。
しかし、私が上記米村論文を読んだ限りでは、上記千田博士論文の引用部分の「つまり」以前の米村の記述と、「つまり」以降の千田の記述とが「つまり」という接続詞では結びつかないように思われます。
米村の当該記述からは、「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになった、との千田の主張にかかる事実を認定することはできません。
そもそも「救い出そう」とした、との記述の社会科学的意味も曖昧不明確です。
【注】
【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】