松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(12)有賀喜左衛門は敗戦によって「封建的」な「前近代性」という意味を担わされた「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとした?103頁

 

1、千田有紀は博士論文において有賀喜左衛門)の「家」概念について、次のように書いています:
 
ここで重要なことは、やはりこの時点でも家と家族がわけて考えられてはいない点、家が「集団」であると考えられている点である。「有賀の家、同族研究には問題点も残されており、その後の展開をまたねばならなかったことも事実である。ことに、家に関しては十分でなく、戦前では、夫婦関係に根拠をおく生活共同体であるとする考えが浮かび上がってくる程度であり、それが明確な表現でもって打ち出されたのは、戦後、昭和22年の『家について』である」(米村[1977:43])。つまり「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになる。(千田博士論文103頁)《引用終》
 
上記引用部分のうち「」内は千田が米村昭二『家族研究の動向 ー戦前戦中におけるー』(1977年)43頁から引用した部分です。
 
しかし、私が上記米村論文を読んだ限りでは、上記千田博士論文の引用部分の「つまり」以前の米村の記述と、「つまり」以降の千田の記述とが「つまり」という接続詞では結びつかないように思われます。
 
米村は、有賀喜左衛門の「家」概念が明確な表現でもって打ち出されたのは、戦後、昭和22年の『家について』である、と書いているに過ぎません。
 
米村の当該記述からは、「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになった、との千田の主張にかかる事実を認定することはできません。
 
そもそも「救い出そう」とした、との記述の社会科学的意味も曖昧不明確です。 
 

 

 

【注】

有賀喜左衛門の写真は次のHPにあります(第7代 日本女子大学学長):

 
 

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】