松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(16)ここまでのまとめ

1 これまで千田有紀著博士論文「『家』のメタ社会学」について記事を書いてきましたが、ここまでのまとめをしておきたいと思います。

 

2  千田博士論文「審査要旨」では、千田は、

従来の「家」対「家族」という二項対立的な問題構成それ自体を、疑似問題としてしりぞけた。

とされています。

これはどういうことかと言いますと、

【1】戦後の家族社会学においては、戦前への反省から、「家」の「特殊性」が「逆説的に」見出されるようになり、「家」と「家族(または家庭)」の「二項対立」が形成された事実を千田が発見したこと、

そして

【2】千田が発見したとされる上記事実【1】を千田が「疑似問題」としてしりぞけた(注1)こと

以上の点に千田博士論文の主要な学術的意義がある、東京大学が評価した、ということです。

 

しかし私は上記【1】について、千田の事実認定に大きな疑問を持っています。

例えば千田は、1951年時点の喜多野清一論文において「家」と「家族」は「二項対立を形成」していた、との趣旨を書いています(注2)。

しかし喜多野自身は1951年の論文において「家」と「家族」を「二項対立」と考える、とは一言も書いていません。

たしかに喜多野は上記論文において

 

「家」と「家族」とを「理論的には別個に概念しておくことは・・・甚だ必要」(喜多野181頁)

 

とは書いていますが、

 

家と家族とは現実に分離し難く結合している」(喜多野180頁)、

 

同族組織の構成単位が家として成立するとは言っても、そこに家族としての生活共同体を不可分に内包している」(喜多野同頁)

 

と書いています。喜多野の上記記述から千田氏の言う「家」と「家族」の「二項対立」の結論を直ちに導くことは困難です。

 

またたとえば千田は西川祐子に関しても「家」と「家庭」が「二項対立」である旨書いています。

 

西川は、実際には、

 

「都市の家族」が、「家庭」であり、「近代家族」に対応するのに対し、「農村の家族」は、「家」である、

 

とは書いていないにもかかわらず、千田は西川がそのように書いている、との事実に反する認定を行ったうえ、当該事実に反する認定を前提に西川においては「家」と「家庭」が「二項対立」として把握されている、との結論を導いています(注3)。

 

以上のように千田の上記【1】の事実認定については大きな疑問があります。すると上記【1】の事実認定を前提とした千田の上記【2】の結論にも疑問が出てきます。

 

3 戦後の家族社会学に関する上記記述とは異なり、千田は戦前の家族社会学については、「家」と「家族」の「二項対立」を形成するような動きはなかった、戦前の家族社会学では「家」の特殊性は意識されなかった、もしくは、記述されなかった、との趣旨を記述しています(注4)。しかしこの点の事実認定にも大きな疑問があります。

 

たとえば千田は戦前の戸田貞三について、

 

戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、「家」という言葉にとくに重要な意味あいをもたさなかった。(千田博士論文17頁)

 

と書いています。

しかし実際には戦前の戸田貞三は「日本の家族」(家長的家族)と「欧米の家族」(近代的家族)の相違点に関して複数、指摘していました(注5)。この点で、上記千田の「戸田は・・・日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、」との記述は事実に反しています。

 

さらに、たとえば千田は、

戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない。(千田博士論文81頁)

とも書いています。

しかし実際には戸田は、戸籍上の「家」(法制上の家)は事実上の家族的共同とは異なるものである、との理由から、自分は戸籍上の「家」については研究対象とはしない、自分が研究対象とするのは「家」のうち、「事実上の家族」「事実上の家族的共同」のほうである、と考えていたに過ぎません(注6)。

 この点、有賀喜左衛門も『有賀喜左衛門著作Ⅳ 封建遺制と近代化』(1967年、未来社)において次のように書いています。(傍線部分):

 

戸田貞三は戦前において、家は直ちに家族と見るべきでなく、家のうちの親族世帯を家族と規定すべきであると主張した。(同書149頁)

 

以上から千田の上記記述は事実に反しています。 

 

さらにたとえば千田は、

 

戦前の社会学の家族論では『家』が武士的・儒教的家族制度として意識されることはなかった(千田博士論文160頁)

 

と書いて、戦前の家族社会学においては『家』が武士的・儒教的家族制度として意識されることはなく、「家」の「特殊性」は記述されなかった、との趣旨を書いています。

しかし実際には戸田は戦前、『家』が武士的・儒教的家族制度としての側面を記述し、「家」の特殊性について記述していました(注7)。

 

さらにたとえば千田は、戦前の有賀喜左衛門について

 

戦前・・・有賀ですら、「家」は社会を規制するのではなく、「家」が単に社会の規制のもとにあるだけだと考えていた(千田博士論文、108-109頁)。

 

と書いて、戦前における「家」の「特殊性」を否定しています。

しかし実際には、戦前の有賀喜左衛門は家と社会は相互規定的である、と述べており、社会が家を規定する事実だけでなく、家が社会を規定するという、家と社会の「相互規定」の関係性についても記述し、戦前の「家」の「特殊性」を記述していました(注8)。この点で千田の上記記述は事実に反しています。

 

4 上記【1】のように、千田博士論文では、戦後の家族社会学においては、戦前への反省から、「家」の「特殊性」が「逆説的に」見出された、との結論を導いていますので、その前提として、千田は戦後民法と明治民法との「連続性」を強調しています。これは、もしも戦後民法と明治民法との「連続性」が存在しなければ、両者は完全に法的に断絶しているから、戦後、「家」の「特殊性」が見出されることもなかったはずである、という千田独自の問題意識によるものであると思われます。

実際には戦後民法と明治民法とは法的に断絶している点が多数存在しているにもかかわらず、その点を捨象して、戦後民法と明治民法との「連続性」のみを強調する千田の上記記述には問題がある(特に「連続性」の具体例に問題がある)ことは当ブログ過去記事ですでに指摘しました(注9)。

 

戦後民法と明治民法との「連続性」を強調するのと同趣旨にもとづき、千田氏は次の記述を行っています:

 

「家族」の民主化が戦後民法によって起こったと考えられていたが、そもそも新民法は、「家」「戸主」といった単語のレベルでの「民主化」がおこっていたにすぎなかった。(千田博士論文125頁)

 

ここでは戦後の日本国憲法施行による価値観の根本的変化のもとで行われた戦後の民法改正(特に親族法・相続法)による法的レベルの民主化は「単語のレベル」の「民主化」にすぎなかった、として全否定されています。

 

しかし、千田氏のこの記述についても問題があることは当ブログ過去記事でもすでに述べた通りです(注10)。

 

【注】

(注1)千田が「疑似問題」としてしりぞけた、とは、たとえば千田の森岡清美に対する次のような評価のことを指していると思われる(傍線部分):

二項対立に依拠した変動を前提するからこそ、「日本的典型」といった日本文化の特殊性が、必要とされるのである。(千田博士論文130頁)

 

(注2)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(8) 1951年時点の喜多野清一において「家」と「家族」は「二項対立を形成」していた?144頁 

 

(注3)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(15) 西川祐子氏の「家」制度は、農村の家族である?「都市の家族」が、「家庭」であり、「近代家族」に対応するのに対し、「農村の家族」は、「家」と捉えられている??千田博士論文154頁

 

 

(注4)

千田博士論文16頁には、次の記述がある。

「家」概念のありかたは、おおまかに三期にわけられる。第一期は1920年代から1945年頃までであり第二期は1945年から1960年頃まで、そして第三期は1960年以降である。
第一期は、・・・主にヨーロッパの文献が参照され、「家」が理論的にことさら特殊であるとは考えられてはいなかったが、戦後家族社会学につながる基本的な視座がつくら
れていった時期である。

 

(注5)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(1)「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとは捉えなかった」(17頁)??

 

(注6)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(4)戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない?81頁 

 

(注7)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(9)「戦前の社会学の家族論では『家』が武士的・儒教的家族制度として意識されることはなかった」?160頁 

 

(注8)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(5)「戦前・・・有賀ですら、『家』は社会を規制するのではなく、『家』が単に社会の規制のもとにあるだけだと考えていた。」?108頁 -

 

(注9)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(13)「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている。」???(46頁)

 

(注10)

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(6)「家族」の民主化が戦後民法によって起こったと考えられていたが、そもそも新民法は、「家」「戸主」といった単語のレベルでの「民主化」がおこっていたにすぎなかった??125頁 

 

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】