松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(4)戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない?81頁

《本記事の問題意識》

東京帝国大学教授で家族社会学者の戸田貞三は、「戸籍上の『家』は種々の点において事実上の家族とは著しく異なる人々を含む場合が多い。したがって戸籍上の記述によって事実上家族生活をなしている者を尋ね出すことはできない。」との問題意識を持って家族研究を行っていた。ところが千田有紀教授の博士論文では「戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない。」と書かれている。千田教授の当該記述は事実に反するのではないだろうか?

 

 

 

千田有紀は博士論文において次のように書いています:

 

【千田の記述】戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない。(注1

 

しかし上記 【千田の記述】には疑問があります。この点について以下、述べます。

 

千田は上記のように書いたうえで、さらに戸田の『家族構成』から次の文章を引用しています:

 

わが国には戸籍上の家なるものがあり、その家が法律上家族なる集団であるかのどとく認められているが、しかし現代わが国民の事実上の生活形式について観るならば、この戸籍上の家なるものは単に帳簿上の族的集団であり、事実上の家族とはかなり縁遠いものである。注2

 

このように戸田は、「戸籍上の家」と「事実上の家族」とを区別していました。この点、米村昭二氏も、論文「『家族研究の動向』ー戦前戦中におけるー」34頁において、戸田は法制的家(=戸籍上の「家」)と事実上の家を区別した、と述べています。

 

そして戸田貞三は著書『家族構成』の中で次のように書いています:

戸籍面だけについて人々の族的生活を考察する場合には、わが国民はことごとくいずれかの戸籍の家に加っており、戸籍上の家すなわち家族に所属せぬものはないようになる。しかし戸籍上の家は事実上の家族的共同とは異なるものである。したがって戸籍上全国民がいずれかの家に所属しているからとて、事実上全国民が家族生活をなしているとは云われない。注3

・・・このように戸籍上の「家」は種々の点において事実上の家族とは著しく異なる人々を含む場合が多い。したがって戸籍上の記述によって事実上家族生活をなしている者を尋ね出すことはできない。注4

 

これらの戸田の記述からすると、戸田は、戸籍上の「家」は種々の点において事実上の家族とは著しく異なる人々を含む場合が多いので、戸籍上の記述によって事実上家族生活をなしている者を尋ね出すことはできない、との問題意識から、自分が研究対象とするのは、戸籍上の「家」ではなく、「事実上の家族」「事実上の家族的共同」のほうである、そのように述べている趣旨に読むのが素直であると思われます。

 

さらに戸田は『家族の研究』第7章「家系尊重の傾向に就いて」において、「古い家、即ち世代を重ねて存続して居る家族団体」(注5)と書いて、上記「事実上の家族」「事実上の家族的共同」と親和性のある書き方をしているのであって、戸田は、千田の言うように、『家』とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない、などとは書いていません。

 

戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない、という上記【千田の記述】は、いったい、いかなる根拠で導き出された記述なのでしょうか?

 

[注]

(注1)千田博士論文81頁。千田有紀著『日本型近代家族』(2011年、勁草書房)127頁にも同趣旨の記述がある。

(注2)戸田貞三『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)122頁。

(注3)戸田貞三『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)137頁注5

(注4)戸田貞三『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)137頁注6

(注5)戸田貞三『家族の研究』(1926年、弘文堂書房)249頁。

 

 (2018年11月4日加筆修正)

(2022年7月29日修正)

【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】