《本記事の問題意識》戸田貞三は戦前、著書の中で日本の家族と欧米の家族との相違点について、複数、記述していた。ところが千田有紀は博士論文17頁において、戦前の戸田貞三に関して「戸田は・・・、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえなかった」旨、書いている。千田博士論文の当該記述は事実に反するのではないだろうか。
1 千田有紀(武蔵大学教授)は東京大学の博士論文(注1)17頁において東京帝国大学名誉教授、故・戸田貞三に関して次のように書いています(青字部分)。
戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、「家」という言葉にとくに重要な意味あいをもたさなかった。
2 上記記述のうち、「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえ」なかった、の部分について。
この記述には大きな疑問があります。
なぜなら戸田は戦前、著書『家族の研究』(1926年、弘文堂書房)において、日本の家族(=家長的家族)には「家族精神の永続性」が存在しているのに対して欧米の家族(=近代的家族)にはそれが存在することが極めて少ない事実、及び、我が国民はこの家族精神の永続性を尊重し、其連続を助長するために、家族員相互の関係、及び家族員と他の者との関係に、特有なる形式を定めている事実を指摘し、日本の家族と欧米の家族との相違点について次のように書いているからです(青字部分):
「此家族精神の永続性は、我国の家族の如き親子協同の家族団体に於いてのみある事であって、欧米の家族の如き夫婦中心の家族団体に於いては極めて少ない事である。」(注2)
「我国民は此の家族精神の永続性を尊重し、其連続を助長する為に、家族員相互の関係、及び家族員と他の者との関係に、特有なる形式を定めて居る」(注3)
また戸田は『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)においても近代的家族と家長的家族の相違点について次のように書いています:
◎・・・この析出作用によって近代的家族は家長的家族よりも一層強く家族の封鎖性を維持し得る。・・・(近代的家族にあっては)一組の夫婦だけを中心とするという極めて排他性の強い小集団となる。(同書56頁)
◎伝統尊重の観念弱く、感情融和の程度を異にする場合直ちに分離し、最もよく感情的に一致し得る者とのみ家族を構成する傾向ある欧米人の家族に比較すれば、家族的伝統を維持し、これを尊重する傾向あるわが国民の家族中には、員数の多いものがやや多くなっている。(同書155頁)
◎独英人が家族の伝統に重きを置く家長的家族の形式によらず、近代的家族の形式によって家族を構成する(同書176頁、注10)
このように戸田は戦前に日本の家族と欧米の家族との相違点について記述していました。
にもかかわらず、千田は「戸田は、・・・日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえ」なかった、と記述しています。
千田の記述は戸田の著書の記述と矛盾しており、事実に反する記述です。
事実に反する内容を学術論文で書く行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?
ちなみに千田はツイッターでは次のように発言しています:
[注]
(注1)「家」のメタ社会学 : 家族社会学における「日本近代」の構築。
千田には全く同一タイトルでありながら、「博士論文」と、「博士論文ではない論文」という、2つの異なる論文があります。博士論文ではない論文は岩波『思想』No.898号に所収されています。私が今回問題にしているのは千田の「博士論文」についてです。
当ブログ過去記事ですでに述べたように、当ブログでは上記2つの論文を区別するため、千田の博士論文を「千田博士論文」、岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文を「千田岩波論文」と呼ぶことにしています。
◎「千田博士論文」の「内容要旨」はこちらで公開されています: http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=114893
◎千田博士論文17頁の「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、「家」という言葉にとくに重要な意味あいをもたさなかった。」と同一内容の記述が千田博士論文159頁にも書かれています。
(注2)同書254頁。
同書2-3頁にも家長的家族は「家族団体の永続」「家族団体の持続」という特質を有している点でそれを主要目的としていない近代的家族とは性質が異なる、との趣旨の記述があります。
(注3)同書255頁。
【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】