松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(14)米村昭二が発見した小山隆「大家族」概念についての研究成果を無断利用し千田自身の研究成果として記述。千田博士論文118頁

米村昭二は論文『家族研究の動向』(社会学評論)(注1)33-34頁において小山隆の大家族制に関して次のように書いています:

 

大家族制についても「広く大家族とは、親子中心の家族であるが、ここに問題とする大家族とは、単に家長の直系尊卑属の結合だけでなく、更に傍系親族をも共に併せた広い範囲の血縁共同体である」(「越中五箇山及び飛弾白川地方に於ける家族構成の研究」『高岡高商研究論集』六ノ二、九九頁、一九三五)と一箇所に規定しているだけである。《引用終》

 

つまり米村は、

【事実1】小山隆の「大家族」の定義が上記の定義である事実、

及び、

【事実2】小山隆が上記「大家族」の定義を「越中五箇山及び飛弾白川地方に於ける家族構成の研究」という論文に一箇所規定しているだけである事実、

を指摘しています。

 

この点、千田有紀の博士論文118頁では、小山隆の「大家族」の定義について次のように言及しています:

 

 「越中五箇山及び飛騨白川地方に於ける家族構成の研究」(1935)において、大家族の問題は「広く大家族とは、親子中心の家族であるが、ここに問題とする大家族とは、単に家長の直系尊卑属の結合だけでなく、更に傍系親族をお〔ママ〕も共に併せた広い範囲の血縁共同体である」(小山[1935→1988:38])という箇所がみうけられる程度である。《引用終》

 

このように千田も、博士論文において、

【事実1】小山隆の「大家族」の定義が上記の定義である事実、

及び

【事実2】小山隆が上記「大家族」の定義を「越中五箇山及び飛弾白川地方に於ける家族構成の研究」という論文に一箇所規定しているだけである事実、

を指摘しています。

 

しかし、

【事実2】すなわち小山隆が上記「大家族」の定義を「越中五箇山及び飛弾白川地方に於ける家族構成の研究」という論文に一箇所規定しているだけである事実、

を発見したのは米村であり、米村の研究成果です。

 

千田は上記【事実2】が米村の研究成果によるものである事実を博士論文の中で指摘せずに千田自身の研究成果として記述しています。

 

千田の上記行為を学術の世界で何と呼ぶのでしょうか?(注2(注3)

 

【注】

注1

米村 昭二『家族研究の動向 ーー戦前戦中におけるーー』社会学評論1977 年 28 巻 2 号 p. 29-52

(下記URLよりダウンロードできます)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/28/2/28_2_29/_article/-char/ja

 

(注2)

 千田有紀著『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、千田氏は自分の大学院時代について次のように書いています(傍線部分):

 

大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました

 

千田は、何を、「本当に自由に」やらせてもらった、のでしょうか?

 

(注3)<参考> 

五味馨氏:「学術の世界では、・・・研究の成果と責任はまず研究者個人に属するものとされています。」

f:id:hate5na7:20190809022206p:plain

https://twitter.com/keigomi29/status/1157514182217961472

 

【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】