松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(9)「戦前の社会学の家族論では『家』が武士的・儒教的家族制度として意識されることはなかった」?160頁

千田有紀は博士論文において次のように書いています(傍線部分):
 ・戦前の社会学の家族論では、「家」が武士的・儒教的家族制度が〔ママ〕意識されることは決してなかった(千田博士論文107頁)。
・戦前の社会学の家族論では『家』が武士的・儒教的家族制度として意識されることはなかった(千田博士論文160頁)(注1)。
 
上記記述と同一の記述は千田岩波論文の中にもあります(千田岩波論文87頁)。
 
 
しかし家族社会学者・戸田貞三は戦前、『家族の研究』(大正15年、弘文堂書房)の中で「家」の武士的・儒教的側面を意識して次のように書いていました(注2)(旧仮名遣いは一部、新仮名遣いに改めました):
 
 【戸田・引用】
◎・・・我が国にはこのように旧家を尊び、家系を尊重する風があるが、この家系の尊重とは如何なる事であるか、このように尊重せらるる家系とは如何なるものであるか。それは家族なる団体精神の連続である。家族集団に特有なる団体精神が、成員たる家族員に新陳代謝あるにもかかわらず、常に家族に固有の精神として存続する事である。すなわち家系とは家族精神の連続的存立にほかならない(同書250-251頁)。
◎・・・この家憲とか、家法とか言うものは、全ての家族員を拘束して居る。例えば信玄家法は信玄によって作られたものであるとして、一度それが武田家の家法となったならば、その家法は信玄個人の意志とは離れて武田一族中の他の成員と同様に成員としての信玄をも支配したであろう。このようにして家憲や家法は、個々の家族員の意志とは離れ、客観的の力として家族員を拘束する様になる。而してこのような独立した力、独立した家族員を拘束し得る力をここに家族精神というのである(251-252頁)。
◎我が国民はこの家族精神の永続性を尊重し、その連続を助長するために、家族員相互の関係、及び家族員と他の者との関係に、特有なる形式を定めている(同書255頁)。
◎妻とか、子女とか、養子等は、家族団体を永続せしむるために、それぞれ相応の働きをなす事を家族団体から要求せられている・・・(同書264頁)。
【戸田・引用、終わり】
 
  以上からわかるように、戦前の社会学の家族論では「家」が武士的・儒教的家族制度として意識されていました。
  従って千田氏の上記記述は事実に反する記述です。
 
【注】
(注1)千田有紀の博士論文タイトルは、 
「家」のメタ社会学 : 家族社会学における「日本近代」の構築、
です。
 
千田氏には全く同一タイトルでありながら、「博士論文」と、「博士論文ではない論文」という、2つの異なる論文があります。博士論文ではない論文は岩波『思想』No.898号に所収されています。当ブログでは上記2つの論文を区別するため、千田氏の博士論文を「千田博士論文」、岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文を「千田岩波論文」と呼ぶことにしています。
つまり
千田氏の博士論文                →「千田博士論文」
岩波『思想』No.898号所収の博士論文ではない論文→「千田岩波論文」
と呼びます。
 
(注2)戸田貞三著『家族の研究』(大正15年、弘文堂書房)、「七 家系尊重の傾向に就いて」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018689
 
【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】