千田有紀は博士論文130頁において森岡清美の家族社会学について次のように書いています:
欧米、特にアメリカこそが普遍であり、その地にみられる核家族や友愛家族が普遍であるとの欧米を普遍とする近代観によって、日本は、より「日本的典型」を持った特殊なものとしてえがきだされることとなる。そして、日本の家族はなかなか欧米の普遍な「家族」にいきつかないために、単線的な歴史の進行をはばむ文化的な要因が社会にあるという信念が生じてくる。《引用終》
1 上記において千田は森岡が「欧米、特にアメリカこそが普遍であり、その地にみられる核家族や友愛家族が普遍であるとの欧米を普遍とする近代観」を有していた旨主張していますが、森岡は価値中立的な学術的立場から核家族の普遍性を唱えてはいなかった事実、従ってまた森岡が「核家族・・・が普遍であるとの欧米を普遍とする近代観」を有していなかった事実についてはすでに当ブログ過去記事でも指摘したとおりです。
2 また千田は、上記引用部分において、「単線的な歴史の進行をはばむ文化的な要因が社会にあるという信念が(森岡に)生じてくる。」と書いていますが、森岡は「単線的な歴史の進行」ということは書いていません。従ってまた「単線的な歴史の進行をはばむ文化的な要因が社会にあるという信念」が森岡に生じた、との事実を認定することもできません。
千田の記述は事実に反しています。
【注意:本記事は個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定個人または団体について特定の断定的・否定的評価を下し対世的に確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方はさまざまです。】