千田有紀は博士論文の中で次のように書いています:
◎千田博士論文133頁:
ここに、マードックの核家族論が日本で広く受け入れられた歴史的な理由を垣間見ることができるだろう。つまり、家族の民主化という課題ゆえに、核家族という形態が、「夫婦を中心とした近代的な家族」であると見なされ、「家族の民主化」のメルクマールとされたという価値的前提の問題なのである。「核家族が正当化され、したがって望ましいとされる」、「人はうしろめたい思いなしに核家族を形成し、かつその形態を維持することができる」(森岡[1976])ということが、「家」から「現代家族」への移行を示すとされたのだ。《引用終》
ここでは千田が森岡の著書、
森岡[1976]
の中から引用したとされる次の記述:
「核家族が正当化され、したがって望ましいとされる」、「人はうしろめたい思いなしに核家族を形成し、かつその形態を維持することができる」
に注目してみたいと思います。ちなみに「」は私が付けたものではなく千田博士論文の原文に「」が付けられています。
千田博士論文の参考文献リストによれば森岡[1976]とは
とされています。
しかし千田は上記引用部分が
『家と現代家族』
の何頁に存在する記述であるのかについては書いていません。
千田の上記引用部分は千田博士論文136頁、162頁でも「引用」されています(162頁では上記引用部分の後半「」部分が「引用」されています)。
例えば136頁では以下のように「引用」されています(青字部分):
◎千田博士論文136頁:
マードックによれば、核家族は基本的に、夫婦と未婚の子どもからなる「分析単位を指す概念であった。しかし日本的な文脈では、それ以上の規範的な意味、一民主的な「家族」の形成、それも結婚して生殖家族をつくり、親から独立することーを持っていた。福武が「アソシエーション」と考えたアメリカの生殖家族と同様の意味が「核家族」にはもたされた。核家族は、日本的な文脈では単なる分析単位をこえて、「家」を否定するような理想的な夫婦家族の意味合いがもたされたのである。家族社会学においても、核家族の概念をめぐって核家族論争が行われたが、これは単に理論的な論争であるというよりも、何が理想的な家族であるかという家族規範の理想像をめぐる論争であったと要約できる。重要なのは、「核家族が正当化され、したがって望ましいとさえされる」、「人はうしろめたい思いなしに核家族を形成し、かつその形態を維持することができる」ようなかたちで、核家族を形成することだった。そしてなによりも「うしろめたい思いなしに」という家族意識の問題が、相変わらず問われていたのである。《引用終》
千田は「重要なのは、」とまで書いて重要性を強調していながら、『家と現代家族』の何頁に存在する記述であるのかについては書いていません。
「重要」な記述なのであれば何頁の記述なのか、頁番号を明示すべきであるし、明示できなければおかしいのではないでしょうか。私が『家と現代家族』を読んだ限りでは、千田の上記引用部分(青字部分)を発見することはできませんでした。私の見落としでしょうか?(私の見落としだったらごめんなさい)
千田の上記行為は学術の世界では何と呼ばれるのでしょうか?
千田博士論文の審査委員主査である上野千鶴子は、千田博士論文をどのように審査したのでしょうか?厳正かつ公正に審査したのでしょうか?
このような論文が東京大学の博士論文とは、いったいどういうことでしょうか?
疑問は尽きません。