千田有紀は博士論文において次のように書いています:
ここで、戦前の日本の「家」研究と戦後の家族研究に、ひとつの断絶が生じているのを見るのは、容易である。つまり、「家」というものが、制度、特に法制度と同一視されたため、戦後はそれが消滅したという前提から出発することになった。戦後における「家」の消滅が前提されているからこそ、戦後に「家」が見いだされていくことがぎゃくに驚きとなり、記述に値することになるのである。(千田博士論文117頁)
ここで千田は、戦前の日本の「家」研究において、「家」というものが、制度、特に法制度と同一視された旨、記述しています。
しかし、戦前、戸田貞三は「家」を「戸籍上の家」(=法制的家)と「事実上の家」とに概念上区別したうえで、「戸籍上の家は事実上の家族的共同とは異なるものである。」(注1)との理由から「戸籍上の家」を研究対象から除外し、自分が研究対象とするのは「事実上の家族」「事実上の家族的共同」のほうである、との趣旨を書いていました。
従って戦前の戸田は「家」を「法制度と同一視」してはいません。
この点は当ブログ過去記事でもすでに指摘したとおりです(注2)。
戦前の日本の「家」研究に関する千田氏の上記記述は、事実に反しています。
【注】
(注1)戸田貞三『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)137頁注5
(注2)千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(4)戸田にとって「家」とは、ただ単に戸籍に記入された形態に過ぎない?81頁