松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

千田有紀教授の博物学者カール・フォン・リンネについての記述は著しく公正さを欠いている。『女性学男性学』18-21頁

 
千田有紀武蔵大学教授)は著書『女性学/男性学』の中で「分類学の父」として知られるスウェーデン博物学者、カール・フォン・リンネ(1707年~1778年)について記述する際、当時の乳母制度による高い乳児死亡率、及び、リンネが乳母制度廃止運動に参加した事実、乳母制度が廃止されたことによって多くの乳児の生命が救われた事実を省略して記述しました。またアリストテレスの伝統の下で、女性は男性のできそこないや怪獣、自然の過ちであると考えられてきたところ、リンネは乳房をもっとも高等な動物綱の象徴としてあがめることにより、雌、とりわけ生殖における女性特有の役割に新たな価値を割り当てました(注1)。しかし千田は『女性学/男性学』の中でリンネについて記述する際、この事実も省略して記述しました。
千田はリンネについての上記事実を省略して著書に記述する一方で、リンネは人間に「哺乳類(ママリア)、直訳すると乳房類」という、人間と獣を結びつける分類名をつけたことによって「女性が母親役割を担うべきだ、それが市民的、国家的義務なのだ」という女性差別の考え方を広めていくことに結びついた、と記述し、リンネが、後世に性差別をもたらした単なる性差別主義者であるかのような誤解を読者に対して与える記述を行いました。

さらに千田は『女性学/男性学』20頁において、フィリップ・アリエスの著書『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』の記述を紹介し、リンネをさらに悪人として描きました。すなわちアリエスは、『〈子供〉の誕生』の中で、そもそも「子ども」という概念自体、近代以前には存在しなかったこと、及び、子どもは近代以前、大人と変わることのない「小さな大人」として考えられ、特別な配慮が必要な存在ではなかったと考えられていたこと、を書いています。千田はフィリップ・アリエスの著書のこの記述を『女性学/男性学』に引用することによって、まるでリンネ本人も、乳児を、大人と何ら変わることのない「小さな大人」として考えて、乳児に対して特別な配慮を一切、行わなかった冷酷非情な人物であるかのような書き方を行いリンネを悪人として描きました。しかし実際にはリンネは、決して、乳児を大人と何ら変わることのない「小さな大人」として考えて、乳児に対して特別な配慮を一切行わないような、冷酷非情な人物ではありませんでした。上記のとおりリンネは乳母制度廃止運動に参加し多数の乳児の生命を救ったヒューマニズムあふれる人間でした 。上記フィリップ・アリエスの著書の記述からわかることは、近代以前のヨーロッパ社会では、子どもは大人と変わることのない「小さな大人」として考えられ、特別な配慮が必要な存在ではなかったと考えられていたという「過去の人々の行動パターン」や社会全体の「心性」が存在したという事実にずぎません(注2)。従ってフィリップ・アリエスの著書の上記記述を根拠に、リンネ本人が乳児を大人と何ら変わることのない「小さな大人」として考えて、乳児に対して特別な配慮は必要ないと考えていた、との事実まで認定することはできません(注3)

 
以上の事実関係からすれば、千田の博物学者カール・フォン・リンネについての記述は著しく公正さを欠いていると認められます(注4)
 
 《注》
(注1)
千田は『女性学/男性学』19頁においてリンネを紹介するに際して、ロンダ・シービンガー著『女性を弄ぶ博物学――リンネはなぜ乳房にこだわったのか』66頁の記述を引用し次のように書いています(傍線部分):
 
リンネは乳房、とりわけ十分発達した女性の乳房をもっとも高等な綱のイコンにした。・・・・・・しかしリンネがママリアという用語を導入したその同じ本の中で、
 
この引用個所において千田はリンネの社会的評価に重大な影響を与える次の重要な事実を省略しています。
すなわち千田による上記引用部分中、千田が上記「・・・・・・」によって省略した部分はシービンガーの原文では次の記述になっています(傍線部分):
 
雌の特質に特権を与えたリンネは、雄を万物の尺度とする長年培われた伝統を打ち破ったと言えるかもしれない。アリストテレスの伝統の下では、女性は男性のできそこないや怪獣、自然の過ちであると考えられてきた、リンネは、乳房をもっとも高等な動物綱の象徴としてあがめることにより、雌、とりわけ生殖における女性特有の役割に新たな価値を割り当てたのである。
 
 
(注2)
社会学者の落合恵美子は
『歴史社会学の分裂――実証主義構築主義をめぐって』
という論稿の中でフィリップ・アリエスに関して次のように書いています:
そもそもわたしは、フィリップ・アリエスに魅了されて、歴史社会学を志した。歴史人口学が発見した過去の人々の行動パターンから「心性」を読み解くというアクロバティックな仕事には、方法的合理性があると思われた。過去の「心性」を想像することは難しい。しかし過去の人々が今日と明らかに異なる、特徴的な行動パターンをとっていたと分かれば、そこを糸口に「心性」を推察する道が拓ける。
 
落合が、「過去の人々の行動パターン」から「心性」を読み解く、と記述している点に注目すべきです。つまりフィリップ・アリエスの著書の記述から認定できる事実は、歴史上の一定時点における社会の人々の全体的な「行動パターン」や社会全体の「心性」なのであって、歴史上存在した特定の個人の内心を認定することまではできません。
 
 (注3)
千田氏は『女性学/男性学』21頁で次のように書いています(傍線部分):
 
このように、動物を分類するときの分類名ひとつとってみても、ある種の考え方が忍び込んでいました。この分類名はまた、「女性が母親役割を担うべきだ、それが市民的、国家的義務なのだ」という考え方を広めていくことに結びつきました。
 
千田はこのように書いていますが、「ある種の考え方」がどのような考え方なのかについて具体的内容を明らかにしないまま、逃走しました。

 

 (注4)千田有紀がカール・フォン・リンネの人物像を書き換えた本件事例を千田有紀社会学理論の適用、という観点から見れば、「言葉の亀裂」理論の適用の一つの具体例と評価することができます「言葉の亀裂」理論についてはこちらの記事を参照して下さい