松浦総合研究所

奇妙な記述てんこ盛りの東大博士論文を執筆した人は奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を審査し合格させた審査委員主査の東大教員も奇妙だし、その奇妙な東大博士論文を放置し続けている東大も、これまた奇妙。世の中奇妙なことだらけ。松浦晋二郎。東京大学文学部社会学科卒業。同志社大学法科大学院卒業。法務博士号取得。行政書士試験合格。連絡先:ivishfk31@gmail.com

島岡まな教授が強姦罪・強制性交等罪について隠蔽する不都合な事実

 大阪大学島岡まな教授は常日頃からフランスの先進国性、日本の後進国性を主張しています。しかし島岡教授が私たちにフランスの先進国性、日本の後進国性を主張する場合、しばしば重要な事実を隠蔽する場合があります。

 今回は島岡教授が強姦罪・強制性交等罪について隠蔽する不都合な事実についてお話します。

 島岡まな教授が作成した下記フランス刑法の資料によると次のように書かれています:

http://www.moj.go.jp/content/001129662.pdf

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 上記資料と日本の刑法とを比較してみましょう。

まず、通常の強姦罪(強制性交等罪)だけを比較してみた場合、

日本の2017年改正後の刑法(強制性交等罪・177条)では

5年~20年以下(刑法12条1項)の懲役(注1)、

フランス刑法では

10年以上15年以下の懲役(上記資料参照)、

であり、

法定刑の上限は日本の刑法の方がフランス刑法よりもはるかに重いです。

 

しかしこの事実はフランスの先進国性、日本の後進国性、を主張したい島岡まな氏にとって不都合な事実なので島岡教授はツイッター上ではこの事実を書かずに、隠蔽します(注2)。

 

 次に、上記資料によればフランスでは通常の強姦罪に加重される「加重事由」の中に「配偶者または内縁のパートナーにより実行された場合」が含まれると書かれています(上記資料の「加重事由」11)。

 そしてフランスでは加重強姦罪は10年以上20年以下の懲役と書かれています。

 ところが 島岡まな氏は以前から、

①日本の刑法はフランス刑法とは異なり夫婦間強姦を明文化していない点、

②日本の刑法はフランス刑法とは異なり夫婦間強姦を通常の強姦罪よりも重く処罰する加重事由として定めていない点、

以上の点で、日本はフランスよりも遅れていると主張してきました(下記注2)。

 

しかし

日本の2017年改正前の強姦罪・177条は

3年以上20年以下の懲役(刑法12条1項)、

日本の2017年改正後の強制性交等罪・177条は

5年~20年以下(刑法12条1項)の懲役(注1)

です。

つまり日本の強姦罪はもともと量刑の幅が広く、その上限はフランスの加重強姦罪と同じ「懲役20年」です。

 

ということは、たしかに日本の刑法はフランス刑法のように夫婦間強姦を加重事由として明文化して定めてはいないものの、日本の刑法の強姦、強制性交等罪は幅広い量刑の中に夫婦間強姦も含んで規定する形式になっている、ということです(ただし日本で実際に夫婦間強姦が処罰されるかどうかは別です)。

 

 

 しかし、日本の刑法の強姦罪、強制性交等罪が幅広い量刑の中に夫婦間強姦も含んで規定する形式になっている、という上記事実は、フランスの先進国性、日本の後進国性、を主張したい島岡まな氏にとって不都合な事実なので島岡教授はツイッター上ではこの事実を書かずに、隠蔽します(注2)。

 

 強姦、強制性交等罪の幅広い量刑の中に夫婦間強姦を含んで規定する形式の日本の刑法が、通常強姦罪と加重強姦罪を区別して明文化するフランス刑法よりも遅れた刑法なのかどうかは、必ずしも明らかではありません。

 

  以上のように、島岡教授は、フランスの先進国性、日本の後進国性を主張するために、重要な事実を隠蔽することが、あります。

 

 【注】

 注1)2017年改正後の刑法では強姦罪は強制性交等罪に改められ、5年以上20年以下の懲役とされました。

注2

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島岡まな氏の刑法改正についての考え方の詳細は下記を参照のこと:

『性犯罪の保護法益及び刑法改正骨子への批判的考察』 島岡まな(大阪大学教授)慶應法学

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA1203413X-20170224-0019

 

  【注意:本記事は私の個人的意見・見解を述べたに過ぎず特定個人に関して断定的・否定的評価を下すものではありません。人によって物の見方・感じ方はさまざまです。また私は主に法律学を学びましたので、個人の尊重、男女の本質的平等、等の日本国憲法の基本理念の真の実現を心から願う者です。】

島岡まな教授:強者(被疑者)の冤罪のリスクより弱者(被害者)の人権を優先

『性犯罪の保護法益及び刑法改正骨子への批判的考察』 島岡まな(大阪大学教授)慶應法学

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA1203413X-20170224-0019

リンク先からダウンロードできます。

 

◎島岡まな教授(大阪大学)は、上記論文において、性犯罪の被疑者を「強者」、被害者を「弱者」、として位置づけたうえ、強者(被疑者)の冤罪のリスクより弱者(被害者)の人権を優先することを主張します(上記論文25-26頁)。

 しかしそもそも性犯罪の被疑者は類型的に「強者」といえるのでしょうか?

◎また島岡教授は「暴行・脅迫要件の緩和によってもたらされる冤罪の危険」は、「被疑者の人権を確実に守り、有能な裁判官が冷静に科学的に判断することによって避けられる」 (34頁)と書いていますが、なぜ、このように断言できるのでしょうか?

 

上野千鶴子:就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。あからさまに男性に逆差別を行使している。

就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男性に逆差別を行使しているのである。女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないからである。」

上野千鶴子著『女遊び』学陽書房 、1988年、238頁)

 

 

(コメント)

「男性逆差別」を行使された男性の人権はどうなるのだろうか???

上野千鶴子「私は経験科学の研究者だから嘘はつかないけど、本当のことを言わないこともある。」

千田有紀氏の大学院時代のお師匠の上野千鶴子氏は次のように発言しています:

 

古市「じゃあ、初めにもう戦うべき相手があるわけですね」

上野千鶴子「当たり前ですよ。だって、問いが立つというのは、そういうことだから。問いに公平も中立もありません

 

(『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』2016年、光文社新書、74頁)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上野千鶴子「私は経験科学の研究者だから嘘はつかないけど、本当のことを言わないこともある。

古市「つまり、データを出さないこともある?」

上野「もちろんです。

 

(『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』2016年、光文社新書、75頁)

 

 

【松浦コメント】

本当のことを言わないことも、嘘をつくことになる場合がある。

日本の女が戦争で日本の男に守ってもらわないほうが、敵のもっと「いい男」と出会えるかもしれない。 東京大学名誉教授 上野千鶴子

日本の女が戦争で日本の男に守ってもらわないほうが、敵のもっと「いい男」と出会えるかもしれない。

東京大学名誉教授、現・立命館大学教授 上野千鶴子

 

 人類が暮らしを営むには、水と火が不可欠だが、女の役目はいつもこの火と水の管理だった。水道もガスもない前近代的な暮らしの中では、朝起きて最初の仕事は、家族のために水を確保するという仕事だった。・・・(途中省略)・・・重労働である。
 この平時の重労働を担ってきたのは、いつも女たちだった。水汲み女の図は見たことがあるが、水汲み男、というのは聞いたことがない。この重労働を、女に代わって男がやろうと申し出た社会は、どうやら歴史上なさそうなのである。「かよわい女をたくましい男が守ってきた」という学生に、私はこう答えることにしている――現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より、強い男が弱い女につけこんできた歴史の方が長いんだよ、と。そのうえ、女は実のところ、かよわくも何ともなくて、重労働に十分耐える生き物でもあるのだ。
 最後に、平時の男たちの怠惰は、いざ戦時に男たちが身を挺して女子供を守る働きによって免責してもらえるだろう、という考えがある。ところでちょっと待てよ、男たちはいったい何から女たちを守ることになるんだろうか。考えてみると、これもバカバカしいことがわかる。男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。「守られて」みなければ、敵のほうがもっと「いい男」かもしれないのだ。
 ここまでからくりがわかれば、「男は仕事・女は家庭」の性別役割分担が、いったい誰の役に立っているか、よオーく考えなくても、すぐにわかるというものだが、ジョーシキという名の思いこみに囚われている、女の子たちのアタマの中を変えるのも、なかなか苦労ではある。

上野千鶴子著『女遊び』、121―122ページ)

 

【松浦コメント】

・敵のもっと「いい男」と出会える可能性もあるけれど、敵にブチ殺される可能性もきわめて高いです。

 

千田有紀社会学を支える思想・理論

 

千田有紀武蔵大学教授)の社会学を支える思想及び理論は次の3つが挙げられます:

(1)「女は男の便所」思想

(2)「言葉の亀裂」理論

(3)科学否定。中立性・客観性の否定。

 

以下、それぞれについて説明します。

(1)「女は男の便所」思想

この思想はもともとはフェミニズム運動家の田中美津が説いた思想です。現在ではフェミニズムの思想的バックボーンになっている思想です。千田有紀社会学においても思想的支柱となっています。千田有紀は著書『女性学/男性学』の中で「女は男の便所」思想について次のように書いています:

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(2)「言葉の亀裂」理論

上記のようにフェミニズムは「女は男の便所」であるという問題意識から出発し、「男の便所」の状況に置かれている女性をいかにして解放するか、その手段・方法、を考えます。そのための理論として千田有紀が説いているのが「言葉の亀裂」理論です(注1)(注2)。

千田の「言葉の亀裂」理論においては、相手(=男性)の言葉の意味をずらして、攪乱し、相手(=男性)の言葉の意味を変えて、相手(=男性)の言葉に亀裂を入れます。このようにして「男の論理」を崩します。

「言葉の亀裂」理論について千田は著書の中で次のように書いています:

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(3)科学否定。中立性・客観性の否定

現在のフェミニズムは、従来の男性中心社会は、科学が客観的な事実を伝えるものであるという認識を当然の前提としたうえで、中立性・客観性の存在を偽装することによって作り上げられてきた、との問題意識があります。

そのため、女性解放(=便所からの解放)を図るためには、科学を否定し、中立性・客観性の存在を否定しなければならないとの問題意識があります。

千田有紀も著書の中で次のように書いて科学を否定し、中立性・客観性の存在を否定しています。

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このように、科学を否定し、中立性・客観性の存在を否定している千田有紀が「科学研究費」の「審査委員」を勤めているのは、笑えない話です。

 

【注】 

注1)「言葉の亀裂」理論という命名は松浦が便宜上、勝手につけたものです。

注2千田有紀が「言葉の亀裂」理論を適用したことによって、高名な男性学者の社会的評価が善人から悪人へと正反対の人物像に書き換えられた一つの具体例として、カール・フォン・リンネの例が挙げられます。「言葉の亀裂」理論を用いれば、特定個人の社会的評価を正反対のものに書き換えることなど、いとも簡単にできてしまいます。

 

 

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(28) 長谷川[1980:24]とは、長谷川のどの著書か?千田有紀は出典を明示せよ。千田博士論文165頁

千田有紀は博士論文165頁において次のように書いています:

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千田が引用している

「問題は、ヴェーバー等の・・・・とらえたところにある」

の部分について

「長谷川[1980:24]」

と書かれているので長谷川のどの著書からの引用なのかと思って千田博士論文の「文献目録」を見ますと次のように書いてあります:

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これを見ると、長谷川善計の1980年の著作は文献目録に存在しません。プンプン!

従って千田博士論文の読者は、千田が引用した上記長谷川[1980:24]の引用部分の出典を知ることはできません。

 

私は千田が引用した上記長谷川[1980:24]の引用部分の出典がきっとこの世に存在していると信じておりますので、

千田は、出典を明示して下さい。

 

千田有紀教授殿、 ご連絡お待ちしております!

連絡先:ivishfk31@gmail.com

松浦晋二郎

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